ねもぷらす

ふぁいんでぃんぐねもの日記。プログラミングとか育児とか

今年もお世話になりました

平成24年はいろいろありました。

1月〜3月

システム移行の大詰め。時間も人も足りない中、ツジツマ合わせのスケジュールだけピックアップされて人が削られる。もう無理だろうという感情がぼくのなかで急上昇ワードランキング1位に。

4月

次男誕生。
いつものように休日出勤をすべく、会社に到着したところへ妻から電話。「痛みが10分間隔になってきた」
ちょうど出社された上司に「子供が生まれるので帰ります」と言い残しタイムカードを退勤。出社時間5分
まだ慌てるような時間じゃない、妻の実家から産婦人科まで車で5分以内の距離。9時前には診察台に上がっている。
長男の時もそうだったけど、陣痛始まっても車にのったりしてると収まっちゃうんだよね〜、産婦人科の先生に診てもらう頃には痛みが弱くなっており、子宮口も「全然開いてないよ〜」とのこと。「まだまだかかるから一回帰ったほうが良いね」
無理にでも入院させてもらうなんてことは全く浮かばなかった。診断されたまま帰宅。いつ陣痛が来るか不安だったので、会社はそのままお休みにして、4日前だけど長男の誕生会をすることに。人生初のアイスケーキにゴマエンエツの息子、微弱な陣痛で唇の色が紫の妻。
ひとしきり食べ終わって妻は2階の自分の部屋へ。私は息子とケーキに入ってたドライアイスで遊ぶ。
しばらくしてお昼寝の時間になったので息子を連れて妻の部屋へ、そして隣に寝た。
14時過ぎになって目が覚めると、妻は相変わらず陣痛で寝付けない様子。少しでも楽んなればと腰をさすってみる。
それにしても痛みの感覚が短くなってきた気がする…妻の携帯で確認しているが、もう10分に近い間隔で痛がっている。産婦人科に電話してみると、先生から「5分間隔になったら病院に来てね〜」超マイペースな先生、きらいじゃないけど力が抜けちゃう。
その後陣痛は続き、もう5分間隔だろコレってところで2階から車まで移動することに。まずベットから起きて…起きれない。起き上がると陣痛が激しくなって産まれそう。はい、ベットから動けません。
すぐに先生に電話。無理です、病院まで行けません、先生こっちに来て下さい。と、陣痛に苦しむ妻が直接先生と交渉。「いま日赤病院にいたから、30分まって」Oh、病院に行ったとしても先生いなかったのかYO!などといろいろ思考が錯綜する中でいよいよ限界の時が。
先生早く来てくれ−、心のなかのクリリンが叫んだ時、妻から衝撃の一言。

「あたま出できた」

覚悟を決めて取り上げることに。大丈夫だ、長男の出産の時だって立ち会ったし。まずは1階にいるお義母さんを呼ばなければ。産道で引っかかってしまったら人出が必要だ。タオルとかも全部車に積んじゃったから出してもらわないと。『お義母さーん』もう魂の叫びでした。
上がってきてくれたお義母さん、妻の股からムラサキ色の頭が出ているのと確認すると、「あららららもう頭出てるじゃない!」とすぐ下に降りていってしまわれた。おおぅ、予想外です。しかしドイツ軍人はうろたえない。祈ろう、先生がすぐ来てくれることを。
利己的な祈りは神に届かない。耐陣痛体制から出産体制に体位を移動し、妻の準備OK。私も覚悟を決めて取り上げる。
いろいろ考えました。産道に引っかかったら妻に馬乗りになってお腹を押さなきゃ。妻が痛みで失神したらどうしよう、子供がへその緒に絡まっていたら?呼吸してなかったら人工呼吸、とにかく産声を聞かせてくれ…ッ
そんな父の心配を他所に、驚くほど綺麗にローリングしながら産み落とされた次男をナイスキャッチ。両手で抱きかかえたまま羊膜を破り、口の中の羊水を吐き出させる。あとは『泣いて、泣いて、泣いて』と背中をそっと撫でながら祈る。

無事、産声を上げました。

あかちゃんの生命力ってすごいですね!おろしたてのトレーナーに羊水浴びてわが子を抱きしめてホッと一息。そこについに産婦人科の先生到着!産まれました、元気な男の子ですvV このセリフ、医者か助産師じゃなきゃこちらから言うことはないと思ってたwちなみに先生の第一声「なにやってんの!」いやいや、緊急出産してるんです。産まれたての赤子を裸のままにしてたから怒られたんだけど、病院に行くために身の回りのタオル類は全部車にあるんですよね…そうこうしているところにお義母さんがタオルを持ってきてくれた。寒かったろう、とうちゃん段取り悪くてゴメンな〜イッパイイッパイだったんよ。その後へその緒やら産後の処置やらしていただき、助産師さんを待つことに。てか助産師さんが一番遅く到着することになるとはwwwこの頃には一安心して、妻と赤ちゃんご対面。二人で指の数かぞえたり、誰に似てるかな〜とか話せるくらいになりました。しかし産まれたての子供って皮が薄いのね、指を曲げると関節部分の骨が透けて見える!最初なんでこんなに指が白いの!って思ったけど骨でした。しばらくして助産師さんが到着して、産後の処置をして頂き、あかちゃんだけ連れて先に産婦人科に行っていただいた。妻は出血もあったのでちょっと休んでから行く事に。いやいや、よもや自宅出産を経験することになるとは全く思わなんだ…
激動の瞬間でしたが、長男の総評。

「おかあさんうるさかった」

そりゃ陣痛で苦しんでましたからね。あんたの時も苦しかったんだよー!!

5〜8月

出産はワタクシゴト、仕事は仕事。システム移行の大詰めであることには変わらず、精神を蝕まれ続ける日々。
客先打ち合わせ、設計、製造、業務委託と受入れ試験、運用、各種ドキュメント作成、他メンバーの技術サポート…
割り振る人がいなくて自分で抱えるハメになったスケジュールがA3で8枚。タスク管理用の大きめのポストイットは背後の壁一面に貼りだされ、「済」にする3倍の速度で増えていく。
7がつ24にち、ついったーにあんでふを吐き、8月某日に精神科より赤紙

9〜12月

病気療養。どうみても過労です本当にありがとうございました。
休み始めは罪悪感の塊でほとんど寝付けず。このまま働いてれば帰らぬ人になってたろうな〜と思いつつも体が言うことを聞かない。
無理はダメ、絶対!
復帰からは今のところ定時上がりさせて頂いてます。技術者増やさないと根本解決にならないっす。。